”Nobody Knows You When You're Down And Out”という曲を知ったのは浪人をしていた頃。

ルイ・ジョーダンがカヴァーしていたヴァージョンだと思う。

季節は恐らくは冬だった。

寒風の中、缶コーヒーをすすりながらイヤーフォンで聴いていた記憶があるんだよね。

浪人生の頃の俺は、

「オマエなんかが野垂れ死んだって、誰も気にしないんだぜ」

って歌っているんだと思っていた。


だからこの曲を耳にしたり、思い出したりする度に、

「クソッ、世界はシビアだな。誰一人顧みられる事なくとも、心が折れないような何かを掴まなきゃ」

とか、

「リアルだけど残酷な事を歌っているな、残酷な真実を伝えないといけないから、こんなに優しい曲なのかもしれないけど、やっぱりつらいな」

とか思っていた。

当時、音源は安い海外盤で買っていたから歌詞カードが無くて、実際には「何についての歌っているのか」、全く知らないんだけどね。


この曲が生まれた時代のアメリカはまだ経済成長を始めたばかりで、大半の人は貧しかったのだと思う。

カリフォルニア・デザインとか生まれる前の時代、資本主義社会の主役として大衆が脚光を浴びる前の時代、大量生産・大量消費以前の時代だと思う。
(参考記事:『カリフォルニア・デザイン 1930-1965 -モダン・リヴィングの起源-』:見るべきは作品ではなく、デザインを通して見えてくるもの。

だけど次に来る豊かな時代に向けて、身の回りが豊かになる実感があるような、昨日よりは明日の方が豊かであると確かに信じられるような、時代だったのだろう。

そんな希望が芽吹き始めた目映い時代の落とす影には、恐らく踏みつけにされている人々がいた。

誰かの犠牲の上に成り立つのが資本主義だからね。

だから、絶望とないまぜの、「貧しいのは俺たちのせいばかりではない」っていうような優しさ。

そんな複雑な気持ちがその人たちに向けて歌われ、共有されていたんじゃないか、そんな風にこの曲は歌われ、生活に寄り添っていたんじゃないかっていうイメージなんだよ。

多分、違うんだろうけどさ。


この曲を知ったのは浪人生の頃、と先に書いた。

具体的には18の頃だ。
彼女はいなかったし、高校は追い出されてこの年は大検と大学の両方に受からなければならなかった。

そしてその頃から今でも「誰一人顧みられる事なくとも心が折れない何か」について、俺は考え続けている。

だけど、歌われている内容について本当のところは全く知らない。

この先も調べる事は無いと思う。

俺は事実よりも、自分が何を感じたかの方が真実だと思っているから。