シナリオライターのFiction Diary 2 | 松慎一郎

脚本家・ライター:松慎一郎のBlog。 『誤字脱字・破綻上等&気が向いた時に書き飛ばし』でGo。

カテゴリ:Story Making > Cinema

初見:
観たかった作品。
誤ってフランス映画と記憶していた。
こんなだからこうなのか、こうだからこんななのか。
冒頭のドキュメンタリー映像はフェイクなのか。
アバン後の海、サーファー・ガールとの出会い、海水にずぶ濡れの革靴とセーターなど動機を示すメタファーなど何重にも設定されていて、さりげなく、細かい。

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聴きたくなった時にすぐにアクセス出来るように公開しておく。

ガーリーって言うか、なんか女の子的な感じで良いよね。

いかにもリンチが好きそうな音色。

俺が脚本上で女の子が初めて彼を部屋に招くシーンを作るとしたら、

レコードに落とされる針のアップ。

そしてこの曲から部屋の中って流れにするかも。

まぁ、シーンは文脈から作られるべきものであって、曲のイメージから作るものじゃないけどね。



同じ女の子でもChromaticsは違う。

これも、いかにもリンチが好きな音色だ。

『マルホランド・ドライブ』のこのシーンも同様。

音楽と映像のマッチングが抜群でとにかく印象に残る。

シーンの入りが俯瞰からっていうのが効いたのかな。

壁の向こう、子供用プールとそこに浮かぶおもちゃのヨット。
主人公はこれ以前に大きな変化を体験している。

その嵐のような経験を経てのコントラストが見事だね。
成長、ではなく、もう戻らない日常という感覚かな。

映画本編のこのタイミングでそれを挟むか、という感じ。


あとはやっぱりコレですが。

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『グリーンブック』
、俺的には微妙でした。

おみくじで末吉引いたみたいな感じです。

良いところは挙げればきりがないほどいっぱいあるし、技術的にも凄いと思うんだけどね。(いや、撮影・編集も海外ドラマ11/23/63の方が上か)

小物で言えば石と拳銃、そしてカネの関係。最初の手紙と最後の手紙。

あとはブリキの太鼓、勇気について、そして椅子と座席の対比。

これらはなるほどなーという感じ。

だけど、それだけだね。

あるのはギミックだけだ。
 

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主人公、熊、主人公を追うネイティブ・アメリカン。
三者ともに行動原理の背景にあるのは家族。
同一の主題がフーガのように紡がれてゆく。
主人公が冒頭で熊に襲撃されるのは、それを観客に示すため。
「復讐は無意味なのか?」という問い、復讐の是非を中盤に登場するキャラクターが、
「復讐は創造主の手に委ねる」
と主人公に話す。
生活の全てを復讐に捧げることの無意味が、その理由だ。
「創造主の手に委ねる」は、具体的に物語終盤に提示される。

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ある種の人にとって世界はあまりに過酷なので、
生きていく上でかけがえの無い存在/対象や、執着する美が必要になる。

大抵の物語にはそれがきちんと含まれている。

オタカラというものがそれに当たり、映画の場合は映像表現だから

きちんとそれが画面に映るもの、眼に見えるものとして提示されている。


その生きていくのに必要なものが失われると、物語が始まる。

脚本で言うプロットポイントに当たり、それを取り戻す事を外的目的という。

物語とは、成長であり冒険だ。

その必要なものにいつまでも依存していると、主人公は成長をしない。

つまり、物語が不要になって日常がそこにあるという事になる。


日常は退屈な反復だが、成長は常に痛みを伴う。

生き別れ、死に別れ、失われて、その対価として主人公は成長してゆく。

しかし、そこで収支のバランスがきちんととれていないと、
出費が収入を上回ってしまうと、

主人公は不幸になる。

失うばかりで得るものがなければ、主人公は物語という旅の途中で野垂れ死ぬ。

フィクションではなく、現実の世界もまた同じかな。

ただ、現実の世界は旅に出なくても何もしなければ日々、色々なものを失っていくので、

物語よりも厳しいかもしれない。


物語の王道は「努力をしたので彼は成長しました」となるのだが、現実には成長には常に喪失の痛みが伴う。

俺はその痛みを書き落としてはいけない、と思っている。


大人の物語では、世界はいつも苦しみに満ちている。

逆説的だが、それは子供の眼差しだ。

成長の為の冒険が物語なので必然、未熟な大人が主人公になるからだろう。


成長とは新しいかけがえのないものを発見する事だろうか?

それとも必要としないでも生きていける力を得る事なのだろうか?

自立とは、自分自身を頼りにするという事だから後者なのかな。

生活を豊かにする為ではなく、逃げ込む為の美や快楽は趣味的。

趣味的なものは現実を越える力を持たない。

趣味的な美は、暮らしを豊かにしているようで、現実にはしていない。

暮らしの豊かさは、日々、成長しているか否か、で決定される、

と俺は思っている。

そして、

「世の中はあまりに息苦しいので、これ無しでは生きてはゆけないという掛け替えのないものが常に必要で、それを探し続けて発見し、自分のものにする」

というのは、実は自分自身を頼りにする事よりも難しい。

多分、自立する事よりも難しい。


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