シナリオライターのFiction Diary 2 | 松慎一郎

脚本家・ライター:松慎一郎のBlog。 『誤字脱字・破綻上等&気が向いた時に書き飛ばし』でGo。

2014年04月

ボブ・マーリーの”Redemption Song”という有名な曲があって、俺は高校生の頃にこの曲を知って、当時から「どうしてこれが贖罪なんだろう」と気になったんだけど、なんとなく放置してきたわけです。

歌詞読んでも全然、わからなかったしね。


「俺の歌はすべて自由・解放の歌だ」と彼は言う。

ネットや書籍に掲載されている彼のインタビュー等を読んでいると、彼の目指す自由・解放とはつまり、「魂の自由」だという事がわかる。

そして「差別や抑圧といった外部やシステムによる束縛は、『本当の自由・解放』を得る為の必要条件か、必要な過程に過ぎない」という事を数年前、"Redemption Songs"の歌詞を読み直して、知ったのです。


「そもそも魂の自由って一体なに?」という事なのですが、基本的には恨みつらみや怒りといったネガティブな心の状態と無縁でいる事、なのだと思う。

やっかいな奴とは関わらないという意味ではない。

乱暴に言ってしまえば、そういう感情に囚われるようなアクシデントに遭っても『折れない』という事なんだと思う。

『折れない』と言うと根性論みたいになってしまうんだけど、そうではなくて「許す」という事です。

確かに腹痛のように恨みつらみを抱えて生きている時、もしくは怒りに駆られている時、人は自由ではない。

だから少なくともその手のネガティブな感情は許す事で人は自由になれる。

だけど、許すとは本来、「絶対に許し得ない相手を許す」という事であり、許しはそれ自体が矛盾している。

偽善者のそれと違ってボブのようにゲットーから立ち上がってきた人間であれば、なおさらの事だと思う。

『許し難い人間を許す』

その矛盾を克服するのは、容易ではない。

だからこそ、許しは尊い。

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だいぶ時間が経ってしまったけど、ローリング・ストーンズのライヴのお話。

多分、一番多くライブに行ったアーティストはストーンズなんだけど、今回はパスする予定だった。

とにかく、生き延びる為にこなさなければならない仕事を多く抱えていて、自分のやりたいことのほとんどを封印している状態がもう何年も続いているから、ストーンズどころではない、というのが俺の日常なのだ。

だけど、たまたま今回は先月、誕生日だったこともあってチケットを頂いて、足を運んだんだ。


俺は十代の頃からストーンズとは多くの時間を過ごしてきて、今となっては途絶えてしまった、多くの別れがたく大切な人と、ストーンズを聴いた。

それでも、俺の周りでストーンズ好き!という友人は常に十人を超えることはなかったかな。

日本でのストーンズ人気はそんなものだと思う。

日本でのストーンズ人気をそんな風に思っていたので、東京ドームに着いた時に会場周辺に「今日はストーンズだ!」と明確な期待が満ち溢れていて驚いた。

こんなにストーンズ好きっていたの? っていう感じ。

普通は自分と価値観を共にする人が多くいるのを感じてなんとなく嬉しくなったりするものだと思う。

だけど、俺は違った。

なんというか、孤立感を強く感じた。ストーンズのライブに行ってこんな事を感じたのは初めてで、俺にとって、ストーンズだけが絶対ではなくなったからかな、と思ったけど、恐らくそうではない。



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