シナリオライターのFiction Diary 2 | 松慎一郎

脚本家・ライター:松慎一郎のBlog。 『誤字脱字・破綻上等&気が向いた時に書き飛ばし』でGo。

2013年10月

日記というのは

「日常を記すもの」

なんだろうけど、

「日常の何を記録するか?」

なんて普通はいちいち考えて日記を書いたりしない。

そんなわけで、このBlogなんかはまさにそうなんだけど思いつくままに自動書記的にダーッと書いていくと書き綴られているのが「違和感」であったりする事に気付く。

多分、これは俺だけではない。

例えば、まだ暑いと思ってTシャツで出掛けたけど、帰りは寒かった、みたいな事も昨日までと今日の違いだったりするわけで。

事実がどうあれ、「永遠に同じ日が続く」と実感している人が毎日、日記を書くというのは多分、無理だと思うし、書いても無意味だと思う。


社会とは「色んな人がいるところ」だ。

「色んな人」は他者と呼ばれる。

つまり、「他者の集合体が社会」。


他者は絶対にわかりあえないと言うか、相容れる事が難しい存在。

生きている限り、相容れない存在と争い続けるのも、気に喰わないからと徹底的に排除し続けるのも現実には不可能で、誰もが相容れない相手と辛抱強く向き合って、なんとか折り合いながら、大変な苦労を抱えて生きているわけです。


大抵の人は「夏休みの絵日記を毎日書く」っていう宿題に、大変な苦労をしたと思うが、あれは今思うと、そもそもが無理な話なのだ。

大抵の子供は社会に生きてはいるけど、社会に塗れて生きているわけじゃないから、ギャップなんかない。違和感がなければ、「何も書くことがない」というのは当たり前。

そもそも親の庇護の下、生きていたら他者と出会い、粘り強く、辛抱して折り合っていく、なんて事は必要ない。


EV Cafeっていう本だったと思うんだけど、吉本隆明の子供の頃が大変、興味深い。

吉本隆明が子供の頃は戦時中だった。

上官が話している時に整列しない、ガムを噛んでいる、煙草を吸っている米兵たちを見て、周囲の大人たちは「あんなだらしない奴らに日本が負けるわけがない」と笑っていたが、吉本隆明少年は「日本は負ける」と直感した。

米軍が「個を活かす」集団であるという事を直感したからだ。

集団を個の集合体と考えるか、

個は集団の一要素として考えるか、

は、立場によって違うと思う。

しかし、これからは前者で考えておいた方が良い。

トップダウンは発展途上国向きだから。

とにかく、

社会とは何か?

個人とは何か?

について、考えておいた方が良い時代だし、なんとなく漠然と「こんなニュアンス」ととらえていた概念の大半がゆっくりと、目に見えない形で変わっていくと思う。

目に見える形はジェネレーション・ギャップなんだけどね。

こういった抽象力でしか発見出来ない事がある、という事を、俺は柄谷行人の「探究」に学んだ。
だけど、それを説明するのは難しい。 

■今日、気になった記事

天安門前で車が歩道に突っ込み炎上 死傷者40人以上

豪州北部、新種の脊椎動物が3種も発見
広東省で新聞vs国有企業の壮絶な戦いが勃発! メディア完全掌握を狙う習近平政権に不穏な気配が・・・

 

 


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louReed

























世界中の小説を読んでいるわけではないので、あまり迂闊な事は言えないけど、小説は映画と比較するとあまり変化していない印象。

この先もあまり劇的な変化って起こらない気がするな。

 翻って10年後の映画は、今まで映画と呼ばれていたものとかなり変わっているんじゃないか、と思っています。

3Dとか色んな試みがことごとく失敗しているけど、失敗は試行錯誤の過程に過ぎないし、失敗している限り、新しい何かが生まれてくる可能性の芽は常に確保されている、と。(つまり、チャレンジしているという事なのですが)


 文学と映画について比較して考えてみる。一番始めに思い浮かぶのは変化のスピード。

映画ってテクノロジーの変化を受けやすいし、テクノロジーは予算と密接に関わっていて、過去に数千万単位の予算が必要な編集が自宅のMacで今は可能だったりする。
個人作業で映画が完結してしまう事のメリットはあちこちで語られているのであえてデメリットを挙げてみると、やはり映画が趣味的なもの、になってしまうという事かな。

こうやって映画の質は、テクノロジーによって変化する。

文学はまぁ、良くも悪くも映画程にはテクノロジーの進化に影響されない。

変わらないだけに、結果として普遍性が問われるので、それが文学の価値かもしれないけど。


 もう一つ、何故、10年後の映画について、「今とは全く違うものが映画と呼ばれているのではないか?」と考えているかと言えば、スピルバーグのインタビューが印象に残っているからです。


スピルバーグは

「今、自分が二十代の若者で映画を作りたいと思っていたらゴールを劇場だけに絞ったりしない。劇場とせいぜいTVしかなかった昔と違って、今はそれこそYouTubeやスマートフォンや映像を必要とするチャネルが多数存在する。それだけ映像作品を提供する場は増えた、という事だ。だから出来るだけ色んな場所でそれぞれのフォーマットを利用して作りたいと考えるだろう」

みたいな事をインタビューで答えていました。


正直、自分も劇場映画に拘りたい感じもあるんだけど、そういうこだわりって「映画」という器に頬擦りしているだけで、実際に作品に何も込められていない気がするんですよね、あくまで俺個人の考えですが。

予算も今まで以上に限られてくると、作品もニッチな客層を狙わなくてはならなくなるでしょう。

イメージとしては映画関係者は皆、インディーズバンドでライブハウス巡りをして喰い繋ぐ、みたいな感じ。

予算がない中で確実な収益を見込んだり、もしくは自腹なのでと趣味的に走りすぎて映画マニア以外、誰も映画を観なくなるかもしれない。

たまにはマニアックさ故に受けたりしてね。

同性愛者で泥棒だったジュネが自身の体験を綴った泥棒日記が全世界の人に読まれるようになった理由もそれだったかもしれないし。(作品評価は別だ)


あ、ここで言っている映画っていうのは、あくまで今日・現在まで映画と呼ばれているものだよ。

十年後、映画と呼ばれているものはアトラクションみたいなものだったり、ゲームみたいなものだったり、とどうなっているか、誰にもわからないんだから。

覚えておいて、今、映画と呼ばれているものと十年後に映画と呼ばれるモノは違っている気がするって話だからね。


■今日の出来事

今朝、ルー・リードが亡くなりました。だから今朝は彼のアルバムを聴きながらこのBlogを書きました。

俺にとって彼はSTAXのR&Bを愛したミュージシャンであり、小説『コイン・ロッカー・ベイビーズ』(村上龍)で知って、17の頃に単身、ドイツに渡った飛行機の中で聴いたアーティスト、です。

Twitterでは彼の楽曲のYouTubeへのリンクが多く貼られています。

よく誤解されるのですが、俺はロック好きじゃないです。音楽好きの『ロック好き』嫌いです。なんか、ロックを語っているおっさんって骨董好きな老人みたいで嫌なんだよね。クラプトンオヤジとか高校生の頃から嫌だった。

まぁ、そんな自分があまりTwitterでは見られなかった楽曲を以下に貼っておきましょう。

俺にとってちょっとした思い出の曲、彼の訃報に触れるまでそんな思い出を忘れていた曲です。

この曲はとっても可愛いよ。

ロック好きは嫌いだけどロックに限らず、大抵の音楽は素晴らしいと思います。

実際、音楽が嫌いって人、あまりいないでしょ?


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二十代の半ば頃だったかな、骨董通りでアルマーニのスーツの美しさに気付いた日の夕暮れ時を覚えている。


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”Nobody Knows You When You're Down And Out”という曲を知ったのは浪人をしていた頃。

ルイ・ジョーダンがカヴァーしていたヴァージョンだと思う。

季節は恐らくは冬だった。

寒風の中、缶コーヒーをすすりながらイヤーフォンで聴いていた記憶があるんだよね。

浪人生の頃の俺は、

「オマエなんかが野垂れ死んだって、誰も気にしないんだぜ」

って歌っているんだと思っていた。


だからこの曲を耳にしたり、思い出したりする度に、

「クソッ、世界はシビアだな。誰一人顧みられる事なくとも、心が折れないような何かを掴まなきゃ」

とか、

「リアルだけど残酷な事を歌っているな、残酷な真実を伝えないといけないから、こんなに優しい曲なのかもしれないけど、やっぱりつらいな」

とか思っていた。

当時、音源は安い海外盤で買っていたから歌詞カードが無くて、実際には「何についての歌っているのか」、全く知らないんだけどね。


この曲が生まれた時代のアメリカはまだ経済成長を始めたばかりで、大半の人は貧しかったのだと思う。

カリフォルニア・デザインとか生まれる前の時代、資本主義社会の主役として大衆が脚光を浴びる前の時代、大量生産・大量消費以前の時代だと思う。
(参考記事:『カリフォルニア・デザイン 1930-1965 -モダン・リヴィングの起源-』:見るべきは作品ではなく、デザインを通して見えてくるもの。

だけど次に来る豊かな時代に向けて、身の回りが豊かになる実感があるような、昨日よりは明日の方が豊かであると確かに信じられるような、時代だったのだろう。

そんな希望が芽吹き始めた目映い時代の落とす影には、恐らく踏みつけにされている人々がいた。

誰かの犠牲の上に成り立つのが資本主義だからね。

だから、絶望とないまぜの、「貧しいのは俺たちのせいばかりではない」っていうような優しさ。

そんな複雑な気持ちがその人たちに向けて歌われ、共有されていたんじゃないか、そんな風にこの曲は歌われ、生活に寄り添っていたんじゃないかっていうイメージなんだよ。

多分、違うんだろうけどさ。


この曲を知ったのは浪人生の頃、と先に書いた。

具体的には18の頃だ。
彼女はいなかったし、高校は追い出されてこの年は大検と大学の両方に受からなければならなかった。

そしてその頃から今でも「誰一人顧みられる事なくとも心が折れない何か」について、俺は考え続けている。

だけど、歌われている内容について本当のところは全く知らない。

この先も調べる事は無いと思う。

俺は事実よりも、自分が何を感じたかの方が真実だと思っているから。


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