だいぶ時間が経ってしまったけど、ローリング・ストーンズのライヴのお話。
多分、一番多くライブに行ったアーティストはストーンズなんだけど、今回はパスする予定だった。
とにかく、生き延びる為にこなさなければならない仕事を多く抱えていて、自分のやりたいことのほとんどを封印している状態がもう何年も続いているから、ストーンズどころではない、というのが俺の日常なのだ。
だけど、たまたま今回は先月、誕生日だったこともあってチケットを頂いて、足を運んだんだ。
俺は十代の頃からストーンズとは多くの時間を過ごしてきて、今となっては途絶えてしまった、多くの別れがたく大切な人と、ストーンズを聴いた。
それでも、俺の周りでストーンズ好き!という友人は常に十人を超えることはなかったかな。
日本でのストーンズ人気はそんなものだと思う。
日本でのストーンズ人気をそんな風に思っていたので、東京ドームに着いた時に会場周辺に「今日はストーンズだ!」と明確な期待が満ち溢れていて驚いた。
こんなにストーンズ好きっていたの? っていう感じ。
普通は自分と価値観を共にする人が多くいるのを感じてなんとなく嬉しくなったりするものだと思う。
だけど、俺は違った。
なんというか、孤立感を強く感じた。ストーンズのライブに行ってこんな事を感じたのは初めてで、俺にとって、ストーンズだけが絶対ではなくなったからかな、と思ったけど、恐らくそうではない。
で、肝心のライブはどうだったか?
今までで一番、印象深いものだったよ。
長年、やり続けたバンドだけが見せる成長が感じられた。
俺はローリング・ストーンズをロック・バンドと思っていない。
世の中的に彼らの名盤と呼ばれるのは主に”Beggar’s Banquet”から”Exile On Main St.”辺りのアルバムになると思うんだけど、これらのアルバムに特徴的なのは「音楽的な豊穣さ」だと思う。
ロックという言葉では括りきれないほど、様々な音楽が入っている。
彼らは音楽至上主義のバンドなので、「俺達はロックだぜ」みたいなアマチュアではないし、ロックという名のバイブルに頬擦りして恍惚としているような原理主義者でもない。
俺が行った最終日は報道されている通り、ゲストとして布袋寅泰さんが出演した。
登場した時、周囲でなんでだよ、という声が多く上がった。
俺はどストライクな世代に該当するが、彼には全く思い入れがない。
しかし、彼の登場を別に不愉快に思わなかった。
どちらかと言えば、「おめでとう」という気持ちだった。
ネットの反応を見ていると「相応しくない、◯◯だろう、そこは」みたいなが多い。
◯◯には主にストーンズ好きを公言しているギタリストの方々の名前が入るんだけど、「それってお前等だけのローカル・ルールだろう」みたいな感じでちっとも共感出来なかった。
そもそも日本にはロックどころか、カウンター・カルチャーなんか、ないんすよ。
あるのはサブ・カルチャーだけ。
だから、文学は最高に格好良い。
文学は存在それ自体がカウンターだから。
「70歳でまだまだ元気なミックの食生活!」みたいな記事を目にすると、こういう記事が喜ばれているっていう事は高齢化社会なんだな、と痛感する。
また、そういう取り上げられ方をするのはやはり、カウンター・カルチャーはほとんど皆無に等しく、サブ・カルチャー(趣味)が主流を占めているからだろう、と。(アンチエイジングというカウンター?)
カウンター・カルチャー。それが特別なもの、ストーンズに確認したものだった。
Gimme ShelterとSatisfactionは確かに名曲なんだな、とカウンター・カルチャーの無い国に育った自分は初めて身にしみた。まぁ、カウンターカルチャーが無い社会というのはあまり不平不満がない社会でもあるので、ある意味、良いのかもしれない。
だけど、その特別なものが疎外感やコンプレックスといったものに負けない、自己肯定感を育んでくれていたのも事実だし、これからは必要になるんじゃないかな、と。
とりあえず、ストーンズのライブは、「誰かがか弱い自分を守っていてくれた」、「気遣ってくれていた事に後から気付いた」みたいなそんな一日でした。