シナリオライターのFiction Diary 2 | 松慎一郎

脚本家・ライター:松慎一郎のBlog。 『誤字脱字・破綻上等&気が向いた時に書き飛ばし』でGo。

タグ:小説

Dropしました!

1月25日に行われ、Sold Outとなりました、
「ぴこ山ぴこ蔵+山川健一のライブ講座」
がムービー教材になりました。
物語作りのプロの技術を身に付ける為に、全4本。
充実の2時間半となっています。

続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

プロ・アマ・編集者・番組の制作会社の方など多くの来場者で前回、Sold Outとなったイベント
好評につき、第二回の開催です。
今回の講座では、
《キャラクター・メイキングの方法》
を取り上げます。
  • 主人公の内圧を可能な限り上げる。
  • エゴ、セルフ、外界の関係。
  • 敵キャラをどう創るか?すべての敵キャラはヒーローの分身である。
出版実績100冊を越える作家・山川健一氏の豊富な経験に裏付けされたキャラクターメイキングの手法に加え、第二部ではスペシャルゲスト・ぴこ山ぴこ蔵氏の圧倒的に使える、超実践メソッドもご紹介。
作家・脚本家志望者にとって、これ以上ない濃密な3時間となるでしょう。
「私」物語化計画受講生、ぴこ塾塾生以外の方も参加可能です。
ぜひ、お越し下さいませ。
お申し込みはこちらからお願い致します。
当日、会場にてお会いしましょう。
と言って前回、あまり話せなかった…ので、今回は是非、お話ししましょうね。

  • 開催日:2020年2月29日(土)12:30開場・16時終了予定
  • 会場:新宿区信濃町/JR信濃町駅から徒歩約7分(会場詳細はお申し込みの方に個別にご案内いたします)
  • 受講料:3,000円(税込 当日現金にて承ります)
「私」物語化計画』非会員の方・ぴこ塾非塾生の方もご参加いただけます
その他、詳細は以下のURLをご覧ください


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

本Blogをはじめ、facebookやTwitterなどで告知させて頂きました
ぴこ蔵ライブ講座・山川健一スペシャル』は好評につき満席となりまして、
昨日、募集を締め切らせて頂きました。
ありがとうございます。

本企画はその実効性に自信を持って企画されたものです。
当日の講義は、お申込いただいた方に高い満足感を持って帰って頂けるよう全身全霊をもって取り組む所存でございます。
また、次回の開催も既に予定されておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

松慎一郎
 SoldOut
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

山川健一さん。(「私」物語化計画を主宰 https://yamakawa.etcetc.jp 

ぴこ山ぴこ蔵さん。(あらすじドットコムを主宰 https://www.arasuji.com

友人二人のコラボで物語作りの決定版となるような講義を開催します。

IMG_0196

続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

無名の一般人であってもその身の上に現実に起こった事を時系列に並べると、

運命があまりに過酷に作用していると驚かされた事がある。

だが、それを脚本の構造にきちんとビルドアップすると、その強烈さは失われる。

「ドラマチックで面白いと思ったけど、映画向きではないのか?」

と思いきや、そうではなく映画はエンターテインメントだからなんだ、と思い至った。

わかりにくいと思う。



大抵の映画作りの本には

「ラストはハッピーエンドで締めろ」

という事になっていて、ハッピーエンドを目指す事それ自体は

正しいと思う。

だが、中にはあえて

「後味の悪いエンディング」

を選んだ作品がある。

そして実はそういう作品こそ、勉強になったりするんだ。

「何故、こういうエンディングになったんだ?」

と考える切っ掛けになるからね。

そんなイメージを持っているから、あえて後味の悪いエンディングを選択した映画を観た時に

「何故、こういうラストを選んだのか?」

をいつも考える。



映画を観てエンディングから考察していくというのは、

実はFootball(いわゆるサッカーね)においての守備から

ゴールまでの検証に近い。

Footballと映画では時間軸が逆なのでわかりづらいけどね。


Footballにおいて、攻撃は必ず守備から始まっている。

だから点が取れない時に「サブのフォワードを入れろ」みたいな指摘は大抵間違っている。

まずはボールを奪う。

それからパスを繋いだり、ドリブルで仕掛けたりして後ろから前へボールを運び、

結果としてゴールがある。

だから、途中の過程をきちんと検証してどこがボトルネックなのかを見付けないといけない。

とにかく他のフォワード入れろとか、スリートップにしろ、みたいなのは映画で言えば第三幕、時間にして、残り30min.だけ観て、作品の価値を述べてしまうみたいな意見なわけだ。


とにかく、ハッピーエンドを目指したのに数ある選択肢の中から

わざわざ後味の悪いエンディングを選んだからにはそうせざるを得ない必然があって、

その必然こそが作品のキーなんだ。



多分ね、どんな映画も、例えば社会主義を扱ったゴダール作品ですら、

つまるところはエンターテインメントであり、

文学は突き詰めれば他者との接触を描くもの、

なんだと思う。

昔、「エンタメ、エンターテインメントってそもそも何?」 と思って辞書を引いたら

大雑把に言うと「歓待する」って意味だったんだけど、「歓待する」為には念入りに

準備をしなければならない。

それが伏線と呼ばれるモノだったりするんだけど、そういった仕掛けは主人公ではなく、

観客に『伏線』とわかるように作品中で提示される。

「え?! そんなシーンあったっけ」では伏線にならないんだよ。

だから、現実のそれのようにあまりに唐突でそれ故に過酷な運命は映画では

ご都合主義とされてしまうが、文学であれば不条理故、情け容赦ないリアリティとなって

読み手を襲う。


 また、他者とは決してわかり合えない、関与出来ない相手なので、

結局、文学はすっきりとハッピーエンドとはいかない。

いかないのが当たり前なんだけど、それが当たり前だからこそハッピーエンドを目指すべきで、

それが作家の探す希望と言える。

世界とは調和出来ない事を思い知らされ、それでも関与して裏切られ、

そうやって徹底的に孤立した結果として、それこそが自分という存在なんだ、と

肯定出来るようになる、というのが文学の価値だったりするんじゃないかな、と。

映画でもそういったエンディングのものも多いけど、

それでもやはりエンターテインメントだな、と。

まぁ、そういう事を「後味の悪いエンディング」を選んだ作品から学んだわけです。

「なんでこんな後味の悪いエンディングなんだ? なるほど、確かにそうせざるを得ないよな。

そうじゃないときちんとエンターテインメントとして成立しないし」

みたいな感じ。

勿論、文学にもすっきりしたエンディングの作品もいっぱいあるだろうから、

一般的に言えばという話なんだけどね。



これは直感レベルの予想なんだけど、

これからはダメな親に育てられ、もしくは放置された子供たちの作る作品

って増えてくると思う。

デイヴィッド・リンチがインタビューで、

「自分たちはアメリカ始まって以来、親の世代より貧しい世代だった」

と話していて、ちょうど俺たちの世代がそこに当たり、

その俺たち世代が作った子供たちが映画や小説を作るとそうなるんじゃないか、

という気がするんだよ。

(ダメな親に育てられた主人公の映画でパッと浮かぶのは『理由無き反抗』なんだけど、

微妙に違うね。主人公の心情はなんとなく体感としてわかるんだけど、理屈では覚えていない。観直さないと。)

でも、そういう映画や小説って、あまり必要とされない気がする。

逆にそこにはいかないように充分に神経を使っていると、良い作品になるんじゃないかな、

と俺は思うんです。

きっと多くの人がそういう映画を作ると思うから、別の事をやるべきじゃないか、と。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ